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誰も知らない、分かっていない自閉症 [自閉症の定義]

自閉症、発達障害、スペクトラム症候群、アスペルガー障害、アスペルガー症候群。

言葉で書いてしまうと何となく分かった気になってしまうが、自閉症については未だ殆ど分かっていない。

発達障害も、日本の文科省が扱う発達障害と、真剣に医療に取り組んでいる医者、精神科医の言う
発達障害は違う。
つまり、定義そのものが日本だけの特別なローカルルールで、やたら曖昧なモノを一緒くたにしているのが発達障害。
詳しくは後に述べるが、とにかく商売や、組織化や、選挙のための応援をお願いするには、該当者は多く、誰もが発達障害な方が都合が大変良い。
そんな事が、2000年からある組織を中心に熱心に運動(活動)してきた。

だから、1991年にウタフリスの画期的な論文が発表され、今まで未知の領域だった自閉症が、論理的且つ医学的に定義出来る様になり、
私たち当事者も驚きを持ってその研究がさらに進む事を期待したが、
当初アスペルガー症候群を表すのに使われた発達障害と言う単語が、今の様に何でもかんでも発達障害になるとは、思ってもみなかった。

酒鬼薔薇聖徒が事件を起こし、アスペルガー症候群が注目されたが、
それも何でもかんでも発達障害に代わり、さらにニキリンコと言う偽自閉症が登場し、
NHK教育テレビ他で取り上げられ、自閉症はさらに偽情報の方が多くなり、
自閉症の研究は2000年から全く進まなかったのである。

そして、今年2017年またNHKは懲りずに発達障害のキャンペーン放映をするそうだ。
そう言えばそろそろ選挙の声がする。

選挙の憶測が出ると必ず発達障害の記事が大量に流される。
妙な関係だ。

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マインドブラインドネス その言葉の意味する所 [自閉症の定義]

自閉症はウタフリスのグループがマインドブラインドネス理論を元に定義する事で初めて定義付けられた。

定義付けられたと言う事は、医師が診断を下す場合、この定義(決まり)に沿って判別すると言う事だ。
ただ、どんな医者でも自由に判定判別出来るわけでは無く、専門的な勉強と訓練をした専門医が行うと言う事になっている。
だから精神科の医師でも統合失調症に強い先生が簡単に診断を下すとは考えにくく、その場合は専門医を紹介してくれる筈だ。

このウタフリスのマインドブラインドネスの理論はなんと1990年に発表されたモノで日本に導入されたのは当然その後。
私からすれば、自閉症を判定出来る様になったのはごく最近だね、と言う事になる。

それまではどうしていたか。実は現場の施設関係者もよく分かっておらず、
「この子はカワイイから自閉症だ」とか曖昧な区別をしていただけだ。
今でも知的障害を伴う自閉症の子は「コミュニケーションが取れない」と言うだけで、
自閉症として見ている。
厳密に観察すると自閉症とは言いにくいのに、自閉症としてテレビでも紹介される事が多い。

でも、自閉症とテレビで紹介される子は、施設受けがよい子が選ばれるのか、違うケースが多い様に思われる。
しかし、障害者施設で職員の苦労を語る場面で取り上げられる子供は、自閉症とは紹介されないが、間違いなく自閉症の子供だったりする。
どうも、マスコミ関係者の目は、フィルターが入っていると言うか、隠された意図があると言うか、目に鱗がかぶっているケースが本当に多いね。

とにかく、マインドブラインドネスの理論で今までの当て推量では無い、
正しく自閉症を理解する手立てが出来上がった。

このマインドブラインドネスの理論、日本語訳は「心の理論」と翻訳され日本では紹介された。

マインドを心とした事で、どうも誤解が多い様な気がする。
私自身、マインドを心とする事が、日本語の心とはどうにもすり合わず嫌な感じが30年続いていた。

ところが、ある日テレビドラマの字幕で、マインドを「内面」と翻訳していた。

なる程、マインドブラインドネス=自分の内面を知る事が出来ない障害

これは非常に理論の内容ともフィットする。

「自分の内面を知る事が出来ない障害」

皆さんの子供を見ていてどうしても理解出来ない時、この言葉を思い出して欲しい。

私は自閉症です。
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マインド→心→内面→? [自閉症の定義]

マインドを内面とする事で、マインドブラインドネス理論が分かり易くなったと前回書いた。

内面と言うならば、「気持ち」とした方が良いのでは無いかとも思える。
しかし、気持ちとした場合、この気持ちには感情が含まれるし気持ち=「感情」として
受け取られかねない。
感情のブラインドネスであれば、感情が無い人、になってしまう。

自閉症の実物に付き合っていれば、感情が無いなんて事は全くなく、突然周囲が引きまくる様な
感情の大爆発を起こす事は、本物を身近で見ていれば言わなくても分かっている事。
だから、マインドを「気持ち、感情」とすると理論の内容と合わなくなってくるのだ。

自閉症の子供の事を少しでも知りたい。アスペルガー症候群の子供の事を知りたい。
本当にそう思うなら、絶対「マインドブラインドネス 心の理論」を読まなければ理解出来ない。

これこそが基本で、初めの一歩になる。
自閉症とマインド・ブラインドネス (新装版)

バロン=コーエン,サイモン【著】〈Baron‐Cohen,Simon〉/長野 敬/長畑 正道/今野 義孝【訳】

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791759682

新装版には心の理論て書いてないんだね。 失礼。

これを読んだとした上で今後の記述を続けます。
これを読んで簡単に理解できる天才は別として、私は何年にも掛かってこの本を理解しようと
勉強した。同じ様にまだ理解が不十分な人もいると思うので、私なりの補足。

とにかく私たち(自閉症、アスペルガー症候群)は、自分自身の内面を知る事が出来ない。
内面を知る事が出来ないと言う事はどういうことか。

例えば、私(自閉症診断済み)も私の妻(自閉症診断済み)も不登校になどなった事が無い。
学校は行かなければならない。と言う掟の前に、行かない等という選択肢が先ず無い。
だから、嫌で嫌でしょうが無くても学校へ行った。
嫌で嫌でしょうが無いと言うのは「内面」だから理屈に合わない様だが、
「嫌で嫌でしょうが無い」と言うのは、20年後40年後の今、当時の自分を見て分かる事で、
その時点では、とにかく行かねばならぬ、行かねばならぬ。どんなに朝苦しくとも、
どんなに眠くとも、どんなに気持ち悪くても、朝礼で倒れても、吐きそうになっても、
とにかく行かねばならぬ。

保健室へ行ってベッドで寝るなんて思いつきもしない。

人間は効率良く暮らせる能力を持っている。
嫌悪感を感じる場合、無意識にそれをさけストレス回避し、ストレスに対峙した時はカラオケで
ストレスを発散する。ストレス発散と称して、嫌な記憶を上書きして無かった事にする。

この、脳内の自動プログラムが、人間の生活を楽にする高度且つ重要なテクニックなのだ。
だから、普通人は生きていく上でのコスト(作業量)が少なくて済む様になっている。

私たち自閉症は、嫌な事もやれと言われれば、やらなきゃいけない。
その時、内面に「嫌だ」という気持ち感情があったとしても、その場では理解できない。
それを、周囲に的確に伝える事が出来ないから、さらに要求される。

これが積もり積もると、突然、大爆発する。
自閉症の子供なら収拾が付かなくなるし、アスペルガー症候群なら会社を辞めちゃう。
それも突然。

周りは、全く事態が飲み込めず困り果てると言う事だ。   少しは分かる? 私は自閉症です。
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最近陰をひそめた感想文 [自閉症の定義]

2000年に起きたなんちゃって自閉症なんちゃってアスペ運動http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-09-24
http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-14
のおかげですっかり地道な現場の声が吹っ飛んでしまった。

その頃、巷で噂されていた話に「感想文が書けない子供が居る」と言う話。

この感想文が書けないと言う事は、私(アスペルガー症候群診断済み)や妻(アスペルガー症候群診断済み)が、若かりし頃喫茶店でデートしながらよく話した事だ。
では、本を読むのが嫌いかと言うとそんな事は無く、生まれてこのかた、私と同じぐらい本を読み
又、その読んでいる本が共通する人は会った事が無く、そんな事も共通していた。

では、本を読む事が大好きで大量に読んでいるにも関わらず感想文が書けないとはどう言う事か。

これも「マインドブラインドネス」自己の内面を知る術を持たない人間である事に由来する。

現場の見識ある教師達は、勉強が出来るのに感想文を書けない「奇妙な子」の存在に気付いていたのだ。
この奇妙な子供達に初めに気付いたのは、ハンスアスペルガー。
ドイツでどうしようも無い手が付けられない子供がアスペルガーの元へ送られた。
そこで見た子供達が奇妙なので、その行動様式を書き留め観察していた。

後日、ウタフリスなど若手の研究者が、自閉症じゃ無いかと想定し定義付けた。

老齢のアスペルガーは、自閉症はカナー型との考えから、「違う」と言っていたが、
フリスの定義が裏付けられ、その根本となる理論が「マインドブラインドネス」
(自身の内面を見る事の出来ない人)なのである。

「普通人」は本を読み、テレビを見て、何か話を聞いて瞬時に「自身の内面に起きた何か」を
無意識に知る事が出来る。
その何かを既に知っているので、後は年相応の言葉に置き換える事が出来る。
幼ければ幼いなりの言葉で表現し、小学生中学生と成長すればその知識に応じた表現になる。

ところが、私たちアスペルガー症候群の場合、知識のストックは膨大にあり、
時には教師をも黙らせる言葉を持ち合わせながら、感想文となると書く事すら出来ない。

「ケネディは第二次世界大戦へ行きました。若くして大統領になりました。
 凄いと思います。 終わり。」

学年でトップクラスの成績なのに、感想文がこれでは「テメーおれをおちょくってるのか」となる。

教師に徹底的、他では考えられない程目の敵にされイジメられるのも特徴で、
私も妻もそうやって学生生活を送ってきた。

私は「お前は転校生だから内申書0点だからな」と何度か言われたが、言われている意味が
さっぱり分からず、結局高校浪人する羽目になってしまった。

ビックリする両親と一緒に教師に会ったが、慌てる両親を見た教師が慌てていた。

実は、それから45年経った今でも意味が理解出来ない。

とにかく、感想文が書けない、と言うのは、非常に分かり易い一つの目安でもあるのだ。
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お笑い つらく悲しい [自閉症の定義]

つらく悲しい、か、つらく哀しいかは分からないが、
ネットの自称発達障害自閉症の連中はみんな「つらく悲しい」だ。

ニキリンコが登場した時、「つらく悲しい」トレードマークだった事もあって、
同時に大量発生したネット上の「当事者」連中も、話す事はつらく悲しい。
でも自閉症は個性だ。が合い言葉だ。

まともにこの障害について勉強した人なら、すぐ「つらく悲しい」と自閉症発達障害との矛盾に
気付く筈だが、ニキリンコを広告塔に一山当てようと言う自称専門家はそんな事には気付かない。


発達障害(アスペルガー症候群)自閉症の根本はマインドブラインドネス。
つまり、自己の内面に気付く事が出来ない、内面を知る事が出来ない障害の事。
http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-09-18-1

自閉症が、私はつらく悲しい。と表現した時点で、マインドブラインドネスでは無いと言う事が
分かる。
つまり、自閉症では無く、何かの目的で当事者を装ってブログを開設していると言う事だ。

では何故つらく悲しいと表現すると自閉症では無いのか。
それは、以前の記事を読んで貰えば、分かるだろうし、ここで詳細まで語らずとも分かる人に
このブログを読んで貰いたい。

何とも、「つらく悲しい」世の中だ。  しかし、私は診断を受けた当事者自閉症です。
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忘れられた機能 概念化 [自閉症の定義]

ネット上では全く話題にも上らない「概念化」。

人間が「ヒト」「普通人」として成り立つ重要な能力が概念化と言う能力だ。

誰もが生まれつき持っているので、その能力について考える事も存在している事すら忘れる
概念化という能力。
ダウン症に生まれてもきちんとこの概念化の能力を持っているから、ヒトとして愛される。

一方、概念化の能力を持たないと言う事は、600人に一人の割合でしか無いから、
概念化が出来ない人間の存在自体が忘れ去られ、人間であるなら常に概念化が出来ると思われてしまう。


では、概念化と言う能力はどの様な場面で使われているのだろうか。


「つらく悲しい」   これがお笑いぐさと言う事は別項で述べた。http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-24

何故これがお笑いぐさなのか。
私(アスペルガー症候群診断済み)と妻(アスペルガー症候群診断済み)は、この様な表現を見ると即座に反応してしまう。
「ばかばかしい。 何なんだよ」「ハッキリ言えよハッキリ」

「つらい」とはつらい事の概念だ。「悲しい」も悲しい事の概念だ。
普通人であれば、つらいと言われただけで、つらいの塊、つまり「つらい」と言う概念で理解する。
同様に「悲しい」も悲しいと言う概念で理解出来る。

私たち自閉症は概念化する能力が欠如しているから、「つらい」と言われても全く分からない。

「一体何かあったんだ」「何がどうしてどうなったんだ」
「そして何がどうなったからそんなにつらかったんだ?」「ハッキリしろよハッキリ」
となるのだ。


だから、ネット上、ブログ村の自称アスペ自閉症発達障害の自己申告を読むと、結局
「私は生きにくくつらい毎日を送っています。だけどこれは個性なんです」
と言う話ばかりで何一つ具体的では無く、つらさを感じさせるエピソードすら無い。

そりゃそうだ。だってあなたたちは自閉症じゃないもん。
自閉症ごっこ。 
自閉症とは全く逆のごっこ遊びだから、間違って私たちの様な本物が読んでしまうと
のけ反るぐらい嫌悪感でいたたまれなくなってしまうのだ。


インターネットと言うのは、昔々は少数のコアなマニアの情報交換の場となりそうだったが、
パソコン能力の向上と通信ラインの情報量の増加で、実社会そのものとなり、
嘗ては、自閉症のコミュニティが出来そうな気配もあったが、
今では、自閉症のメンタリティーを持っていたら、
自閉症関連のサイトには気色悪くて近づけなくなった。

本当の医学上発達障害に分類される人、例えば読字障害の人は、ネット上に存在する
発達障害へのサポート情報に触れる事も出来ず、
本物の自閉症の人は、嫌悪感が先に立ち勝手に「自分は自閉症では無い」と自己判断してしまう。


結局、ネット上は「自閉症ごっこ、発達障害ごっこ」のごっこ遊びの場となり、
自閉症と現場で接触する人が、情報を得ようとのぞき見しても、
ごっこ遊びの園長の偽情報ばかりで、自閉症の子供に本当に役立つ情報は届かない。

恐ろしい事に、自閉症児を持つ親が作るネットワーク自体が、情報の真偽を確かめずに
垂れ流し続けて居るのだ。

ネット情報に翻弄されるなら、ネットなんか覗かない方が自閉症の子供の為だ。
ラコーヌの森のビクトールを見て欲しい。

愛情だけで、愛情だけだったからこそ立派な青年になったのだ。http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-21
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記憶の形 [自閉症の定義]

「つらく悲しい」 つらく悲しく概念化出来てしまう普通人は、楽しい事も「楽しい事」と
概念化して記憶出来るから、記憶の手間、記憶の行程、記憶のコストが掛からず安く、
簡易に済ます事が出来る。

毎日生きていくだけで色々な出来事が起きる。
それをすべて覚えていたら、膨大な量になるので、普通人はそれを「概念化」と言うプロセスを
経て、簡単な形に圧縮変換し、「楽しい事」「つまらない事」「どうでも良い事」「悲しい事」に
自動で振り分け、さらに「楽しい事」は残すようにして「嫌な事」「忘れたい事」はなるべく
ゴミ箱に自動で捨てるようにプログラムされている。

だから、「人の記憶はあいまいで、不確かなモノだ」と言う話になる。

一方、私たち「普通人」とは異なる「自閉症」の場合、元々概念化の能力が無いから、
取りあえずそのまま記憶するしか無い。
特別に記憶力が良いわけじゃ無い。

何かのきっかけで記憶してしまった事を記憶しているだけだ。
そのきっかけをつかめないと、全く記憶しない。

この構造は恐らく脳内の神経構造、つまりハードウエアが普通人とは違うのだと思う。
ハードウエアが同じで、載っているソフトが違うだけなら、後から「概念化ソフト」を入れれば
同じ「普通人」になり得るが、「概念化ソフト」はアプリケーションでは無く、
初めから組み込まれた「ロジックに書き込み済み」ソフトだから、後から入れる事は不可能。

そう考えると、自閉症の脳構造が、ハードウエアが違うと考えるのが自然だ。

「私は楽しい事しか覚えてないよ」こういう人に、「じゃあどんな事?」と聞いても
誰1人具体的な楽しかった思い出を語る人に出会った事が無い。

逆に、3才の時に踏み台から落ちて唇が切れて血が出た。とか、小学校の時の千草和え不味かった。
とか、学校へ行って気持ちが悪くなると毎回朝ご飯食べなかったんじゃないのとしか言わない
保健の教師の話とか、幼い時から今までの具体的な話しかしない人に、1人出会った事がある。

それが、私の妻で、私が言う事も、昔の、良く言えば思い出話、恨みつらみの具体的な話ばかり。
相互のエピソードを付き合わせ、如何に体育教師に嫌われたか。如何に給食が不味かったか。
すべて、具体的なエピソードで話を共有した。

普通人が「楽しかった事」の一言で済んでしまうが、私たちは
「楽しかった事なんか無いよ。強いて言えば、大学の時楽器を吹いて・・・・・・」と
ひょっとしたら楽しかった事に分類されるかもしれない出来事を呼び出す。
しかし、その事には、嫌な事や、面倒くさかった事や、寒かった事や暑かった事や、腹が減った事
や、色々な事も付随するから、簡単に楽しかった事なんて言えない。

つまり、かいつまんだ「概念化」が出来ないそのモノだ。


人の記憶はあいまいです。
しかし、ヒトにあらず自閉症である場合、記憶はそのまま記憶する。


但し、この但し書きが重要。


但し、その記憶(私の場合、記憶とその映像)は変わる事は無いが、大人として解釈が変わる事はある。

この解釈が変わると言う所が重要で、私自身、私の子供時代を、
私の母親よりも年かさが増した今記憶をそのまま再現すると、

どれ程私の母親が世間知らずで、しかし家の中で威張り、力の無い子供をいたぶっていたか良く分かる。


だから、酒鬼薔薇聖徒が出所して自伝を書いたと聞いても、彼の年齢、社会経験から見ても、
自分の状況をきちんと把握し、上手に解説出来るとはとうてい思えない。

自分自身が行った事の解釈、或いは解説が出来るようになる時は、恐らくもう世間からその事を
望まれない様な遙か先の話だと私は考えている。

何故か。だってマインドブラインドネス、自分自身の内面を知る事が出来ない障害なんだから。
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歴史的な誤解を生み出す書籍 [自閉症の定義]

私が参考にしている書物の中には非常に古い記述が原典の書籍もある。

事実を忠実に、それも長い年月を掛け冷静に観察記述したモノは古くならない。
その代表がアヴェロンの野生児https://www.fukumura.co.jp/book/b115168.htmlだ。
自閉症の事を知れば知る程、この記述が如何に貴重か改めて感じる味のある書籍だ。

その事についてはここhttp://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-21でも少し触れている。


しかし、その貴重な書物と同列に扱われ、現在も出版?存在する異業の書物もある。

それは、この書籍と同シリーズに収められた「狼に育てられた子」https://www.fukumura.co.jp/book/b115162.html
カマラとアマラの話だ。

これは、ずいぶん前に作り話であった事が分かり、あたかもあるかの様に作り上げられ、
その後も、作者が執拗に証拠作りをして正当性を訴えた事で知られている。
イギリスでは大騒動になり、大スキャンダルとなったのだが、
日本での初版は、確かその嘘がばれた後だったと思う。


昔、小学校の教科書にも題材として載せられた事もあり、日本中の人が狼少女の事を知っているが、
この話が、全く作り話で、デタラメであった事までどの位の人が知っているか分からない。


さらに、この書籍を出版した福村書店が、何の但し書きも無しに現在もこの本をホームページに
載せているのだから、出版社自身もこの本がガセネタであったと言う事を知らないのかも知れない。

それとも、知っていて、自らの行為を恥じて他山の石とする為に敢えて出版し続けているのか。

だったら、虚偽の記述、虚偽の書籍である事を明記した方が、誤解を生まないと思う。

まあ、学問の世界にも、虚偽性人格障害が居るって事だな。

体裁を整えさえすれば、どんな嘘でも作れると言う事だ。
商売目当てでやっているヤツも居るから、尚更タチが悪い。
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女の子の楽しいおしゃべり [自閉症の定義]

女の子は年齢を問わず、お婆さんになっても良くしゃべる。

それは男と比べると、と言う比較があって初めて成り立つ話で、
世の中女の子だけだったらそう言う事は無い。


こういう簡単な事は、皆実感があるし、現実にそうだから簡単に認める事が出来る。
これを「性差」と言う。


ヒトがサルと異なるのは、「しゃべる」と言う事だ。
サルと異なると言うより、他のどの様な生物とも異なるのは、「しゃべる」と言う能力を得た事にある。


その「しゃべる」と言う事も、男と女では表出の仕方、その能力に違いが明確にある。

その内容は別として、「しゃべる」という能力全体で見ると、女の方が量的に圧倒的に多い。

つまり、「しゃべる」と言う事については、女の方が優位なのである。



障害児を集め、自閉症だけを抽出すると、圧倒的に男が多い。女性は全体の2割以下だ。
(数字の裏付けはど忘れしたので後日表記)

これは「しゃべる脳、女性脳」と、自閉症の発生率との関係と思われる。


DNAの解析が進めば、この辺も統計として科学として明確になる筈だ。

これは、目の前に居る自閉症の子供、男の子女の子を見た現実と一致する。
女の子で自閉症の子は少なく、そう言う意味から考えると、
女の子の自閉症児の方がより「自閉症の度合い、自閉症の要素」が強いとも考えられる。

本来おしゃべりな脳を持っているのに、自閉症の男の子と同様の様相を呈しているのだから。


現実の、障害者施設の子供達の割合がそうなのに、ネット上の「ナンチャッテアスペ」や
「ナンチャッテ発達障害」「うちの子供は発達障害」「私は大人の発達障害」と
言う人たちは、ほとんどが女だ。

マスコミに登場してくるのも、ニキリンコも女、泉流星も女、村上由美も女。
ブログも女。


彼女たちは一体なん何だろう。
彼女たちに診断を受けたか聞いても、答えず、問い詰めて初めて、診断を受けていない事を
白状する。

問い詰められなければ、当事者としてマスコミに出たり、都の障害児教育のセミナーで
当事者としてなりきって発言しても平気だ。

ネット上とマスコミには不思議な人たちで溢れているのだ。


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鏡の向こう [自閉症の定義]

これも誰もが目にしている事。

子猫や子犬が不思議そうに鏡を見る。
鼻をくっつけると冷たいのでビックリする。

誰だろう。不思議がって鏡の裏側に回り込むが誰も居ない。
正面に回るとまた誰かがこちらをじっと見ている。


この行動を何度か行うが、すぐに動物では無いと覚えもう興味を持たない。


赤ん坊も同じ行動を取る。
これは、脳の発達の過程で、鏡に映る赤ん坊を見て興味を持つが、鏡の裏側には誰も居ない事を
覚える。

この時点では、赤ん坊も子犬も思考の過程、思考回路は同等、同じだ。

とても可愛らしい赤ん坊の時期で、18ヶ月前の赤ん坊に見られる姿だ。



ところが、この後20ヶ月から22ヶ月を迎えると、赤ん坊は長足の進歩を遂げる。

鏡を見て、その姿が自分である事を「知る」覚えるのである。
もう鏡の裏側に回る事は無い。

チョコクリームを付けた自分の顔を見て笑い転げる様になる。
鏡に映っているモノが自分である事の証明だ。




これが、人間が動物から人間に変わる瞬間。
SAMを獲得する瞬間である。

このSAMを獲得する事で、動物の領域に居た赤ん坊が、人間としてヒトとなり自己(自分)を
獲得したのである。

SAMは後述


ところが、人間の中にこのSAMを獲得出来ないまま成長する人間が存在している事が分かった。
その人間の事を「自閉症」「自閉症スペクトラム」「アスペルガー症候群」と言う。

このSAMを獲得出来たか出来なかったかが「自閉症」とするか「ナンチャッテアスペ」とするかの
分かれ目なのである。



SAMを持たない。

しかし、知能まで持たない訳では無い。


例えば、鏡に映るのは物理的現象で、自分が映っているのである。
これは知能で理解し覚える事が出来る。つまり学習だ。

SAMを持たない人は、非常に高い知能を持つ人から知能が低い知恵遅れの子供まで、
スペクトラム状に存在している。
この仮定に理論立てられたモノが「自閉症のスペクトラム理論」である。

自閉症の度合いが濃い人と薄い人が居て、薄い人は限りなく薄く「ヒト」に連なる。
と言うのは明らかな間違い。

しかし、ネット情報のかいつまみ、コピペ、孫引きに頼ってコメントしている人が殆どだから、
上記の間違い、嘘が氾濫し、その事が「ナンチャッテアスペ」を増殖させ本人に信じ込ませて
居るのである。



勿論、知能と学習で「ヒト」の行動を真似ているから、限りなく「ヒト」らしく振る舞っている
自閉症は居る。
しかし、どんなに取り繕っても、SAMを持っていないから、「マインドブラインドネス」の
理論に基づいて作られた簡単なテストに、やすやすと引っかかってしまうのである。


一方、どんなに「アスペ」を取り繕っても、SAMがあり概念化が自動で出来てしまうから、
テストを受けさせればニセモノとバレてしまうのである。
どうしてもと言うなら、事前にその答えを暗記しておくしか無い。
そこまでやった「ニセアスペ」は流石に見た事は無い。

大体、皆自分自身がニセモノである事を「無意識下」でも「意識的」にでも認めているから、
診療自体を拒否し、テストも拒否し、診断を拒否するのである。

ただ、ネット上で診断を受けたと書く事は自由に出来るし、自分がそうだったと信じる事も出来る。
その場合、精神科へ通院し、医師のアドバイスを受けている過程で、
「アスペルガーの可能性もある」と言う話が「アスペルガーと診断を受けた」になる事が多いのだ。



学校で、会社で、社会でどうにも解決出来ないモヤモヤがあるなら、
精神科へ通い続け、必要なら専門医の診断テストを受け診断を受ける事は大切な事である。
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積極奇異 受動型 その実際 [自閉症の定義]

自閉症は積極奇異型と受動型に分類出来る。



レナードの朝の演技指導にオリバーサックスが立ち会った時、
患者を模す演技をさせた所、ものの見事に小刻みに動く演技を選ぶ人と、
固着し一切動かない演技を選ぶ人に分かれたそうだ。

これは、脳の構造が二通りに区分け出来る事を示準しているとの解説があったが、
私も全く同感だ。


実物と現実に深い付き合いをしていないのに、知ったかぶり、或いはなったつもりの
ナンチャッテアスペなどの話は、その記述をよく読むと、それは自分の事なのか、
誰か他の人が自閉症でその様子を観察したのか、その人は積極奇異なのか受動型なのか
全てがごっちゃになって、あり得ない症例、あり得ない行動を取った事になっている。

殆どの人は、自閉症が身近にいて日常を共に過ごしている訳では無いから、
これらの支離滅裂な行動様式でも何の疑問も感じず、その受け売りを人にまことしやかに
伝聞する。こうした伝聞情報が殆どを占めていて、実のある話をネットで発見した事は殆ど無い。
この話ぐらい。https://ameblo.jp/repenter/


積極奇異と言うが、これは人に対するアプローチが非常に積極的であるが、奇妙な事でも
平気で行ってしまうと言う事を表している。
実は、私(アスペルガー症候群診断済み)がそうなのだが、ウイングの書籍http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/76168/に、ハンスアスペルガーの元に集められた奇妙な子供の記述がある。
(筆者注:ウタ・フリスの本 https://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/76159/ の間違いでした)

その中の「カエル博士」(ちびっこ教授の間違い)は、まさしく私の子供時代そのモノで、
まるで私の様子を見ていたかの様な話だ。
改めてこうやって読むと、初めて自分自身の様子が手に取るように思い出される。

「ねえねえ、知ってる?」これで始まる話は、ただただ自分がその事について話したいから
相手を探しているだけで、コミュニケーションとは少し意味合いが違う。
「ねえねえ、知ってる?」この話す相手は、お愛想でこの話に付き合ってくれる人間でなければ
ならないから、当然大人になる。子供相手に話した所で、先ず興味を示さずどこかへ行ってしまう。
大人ならば、「何故か、不思議な事に」私の話が終わるまで、「あっそー、凄いね-、そうなの」
とずっと相手をしてくれる事を知っている(学習した)からだ。

初めの頃は誰でも聞いてくれたが、段々話す量も情報も多くなってくると、相手が女(おばさん達)だと、適当にいなされる事も学習する。
そうなると、私の話に興味がありそうな大人の男相手に話しかける事になる。
ところが、子供を相手にする大人の男などそんなに居ない。
それでも話したい事があるから、イケそうな大人が来ると誰彼構わず話しかける事になる。

これが、私が「積極奇異型」の自閉症児となる過程である。



一方、受動型と言う自閉症児も居る。
実は私の妻(アスペルガー症候群診断済み)が受動型なのである。

受動型と言うのもあくまで対人的コミュニケーションの事を示している。
幼稚園へ行く前から一人で「遊ぶ」事が好きで、仕方なく幼稚園へ行かされる。
別に一人で遊ぶのが好きな訳では無く、人の相手をするのがめんどくさいだけなのだ。

学校へ上がると一人でじっと何かを見ている無口な子供でも、そんな子供に興味を持って
話しかけて来る女の子が居る。恐らくその女の子も騒々しいのが嫌いなんだろう。
そんな女の子の働きかけによって、少しずつ話をする様になり、1年もするとようやく打ち解ける。

ところが、その様子を見た教師は、固定した友達関係しか築けない子供に対して、
広く沢山の友達を作れる様にと教育的配慮から、やっと築けた人間関係をクラス替えで引き離す。

ほそーいほそーい僅かなコミュニケーションの糸を、本人の意思に反してぶちこわすのである。
酷い絶望感の中、また一人で居ると、そんな中にもまた友達らしき相手が出来るが、
またクラス替えと称して、コミュニケーションの小さな芽を残酷にも摘み取るのだ。


友達と言うモノ。コミュニケーションと言うモノ。
その小さな芽を、教師達は嬉々として摘み取るのだから、もう一切期待しない様になる。

こうして普通学級に存在する受動型の自閉症児(アスペルガー症候群の子供)は出来上がるのである。



ところが、積極奇異群、受動型と言う「単語、言葉」だけで理解した様な気がする連中が殆どで
現実には行動様式はこの単語とは全く一致しない。

簡単に言えば、積極奇異群の私は、殆どテレビの前で長椅子に寝そべっているのが日課。
新聞を読むかテレビを見るかパソコンをやるか寝ているか何れかだ。
余程体調が良く、気分が盛り上がって何か家の仕事をする位で先ず動かない。

ところが、受動型の妻は、受動型と言っても人に対しての話。
現実には、朝7時に起きてから、夜9時に寝るまでひっきりなしに動き回っている。

脳内からのトリガーに対して、非常に敏感忠実なのが受動型の妻。
脳内からのトリガーに対して鈍感、あったとしても受け付けないのが積極奇異群の私。


そこでレナードの朝。
普通人の俳優でも無意識に「固まる脳」の演技と「動き続ける脳」の演技に分かれる。

積極奇異群の私は「固まる脳」を持ち、実際父は、若年性アルツハイマーを47才で発症した。
受動型の妻は「動き続ける脳」を持ち、実際叔母がパーキンソン病になり亡くなった。


こうやって、実際のサンプルを基に、実例を伴った症例を考えると、
単語を知っただけで分かった様な事を言う事が如何にバカな事か良く分かる。

逆に言えば、話の中に矛盾を見出す事が出来る様になると言う事は、
それだけ自閉症の事を理解出来て来たと言う事にもなる。


そしてよく考えて欲しい。
貴方はこの様に、分かり易く自閉症のアスペルガー症候群の発達障害の話を聞いた事がありますか?

ネット上には、溢れかえる程自称専門家や、自称専門医、自称療育家が居るが、
分かり易く説明出来ないと言う事は、実は分かっていない。

芯の部分、真の部分で分かっていないと言う事なのだ。
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一日働いている自閉症とADHDとの違い [自閉症の定義]

私の妻は受動型の知能の高い自閉症で、さらに一日中よく働く。
身体を動かすのが全く苦にならない様だ。

昔々、未だ私たちが自閉症の診断も受けていない30年前。

どうも自分は他の人と違う様だと気付き調べたのがADHD。

その後、自閉症の診断も受けながら、ADHDとの違いをずっと考え続けて居た。


ADHDはアメリカで早くから注目されていたし、ハイパーと言われ、
「あいつはハイパーだ」とある意味一目置かれる様な存在だ。
ADHDと自閉症は全く別モノ。日本みたいに一緒くたにはなっていない。

実際、本物のADHD、ハイパーを見ると本当にハイパー。
良く動き、よく働き、失敗も多く、お騒がせだが実行力もある。
デメリットも多いが、実社会ではハイパーが経済的勝者である場合が非常に多い。

ADHDの衝動性は、私が一番分かり易い例としては「手配犯が人命救助」のケース。
ケースワーカーと定期的に面談しなければいけないのにすっぽかしていた若者。
火事に遭遇、とっさに飛び込み子供を救出。
一躍ヒーローになったが、そのまま警察に捕まった。

どんなに約束しても、つい忘れてすっぽかし、しかし、火事の現場では放っておけない。

まさしくADHDの面目躍如。


しかし、妻の行動を観察するとADHDとは内容が違う。

朝起きてコーヒーを入れる。新聞を取りに行く。身体が温まったら着替える。
ベッドを整える。ベッドのゴミをコロコロで取る。
ベッドメイクで出た枕カバーやその他着るモノを洗濯機に入れる。
二階4部屋すべて掃除機を掛ける。階段にも掃除機を掛ける。
洗濯物を干す。一階に掃除機を掛ける。
朝昼兼用のメシの仕掛け準備をする。少し一服。メシを食う。
昼寝。
食器を洗う。洗濯物を取り込む。
洗濯物にアイロンを掛ける。洗濯物をしまう。

これがベースで必ず行い、それに庭掃除だの花の手入れだのが入るから休む暇が無い。

確かに、途中で私がお茶を頼むと動かしている手を止めてお茶を入れる。
そこまではADHDっぽいが、しばらくして自分がしていた事を思い出して、
もう一度その行動に戻る。

動いていない時はネットを見ているか、本を読んでいるか、寝ているか。

朝7時から夜9時まで動き続けている。
そんなにやらなくてイイじゃ無いと言っても「気になるから」の一言で済まされる。


受動型と分類されるが、人とのコミュニケーションの形式について述べた呼び名であり、
日常生活が受動なのでは無い。
非常にシステマティック。
目先の、「こうしたい」と言う内なる欲求に対しては非常に忠実、敏感であり、
「枕カバー変えたい」と思うが否や変えていると言う早業。

今日変えても雨で洗濯物が乾かないから、晴れた日に変えようかな。なーんて選択肢は無い。

すべて、内なるトリガーに忠実に行動しているだけで、一日ヘトヘトになっている。


ADHDが外部の刺激、事柄に影響を受けて、エネルギッシュに行動するのとはかなり違う。

今のところ上手く説明出来ないが、その内良い説明の糸口がつかめるかもねー。
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動く自閉症とADHDの違い [自閉症の定義]

私の妻は受動型だが、一日中動き回っている。しかしハイパー(ADHD)では無い。

その場で止まっていろと言われ、その目的が明確なら微動だにしない。
本当に全く動かないので、叔父が写生のモデルに使うのに重宝した。
動かないおかげで、彼女を書き写した絵は沢山残っている。
ADHDはそうは行かない。そこが大きな違いだ。

私は積極奇異群だが、テレビとパソコンがあれば全く動かない。
リタイアした今では、長椅子に12時間以上座っている事も非常に多くある。


動かないと言う、積極奇異群のアスペルガー症候群の診断を受けた私は、
学校の授業を受けていた時は、じっとしていられない。

勉強を夢中ですればする程からだが動き続けて居る(らしい)。
これは殆ど自覚症状は無いのだが、毎日の様に怒られ続けて来た。


中学2年の時、北海道は札幌から青森市古川中学に転校した。
生徒数1300人以上のマンモス中学である。

青森の授業風景、体育館の整列を見て驚いた。
誰1人、1ミリも動かないのである。

私は、驚愕した。そして、彼らと同じ様に動かない様にしようとしたが、全く出来ない。
どうも、身体がピタッと止まらない様だ。

ここでは、体育の教師だけでは無く、どの教師からも怒られ、あきれられた。



しかし、よく考えて欲しい。
青森にだってADHDの子供は居たはずだ。しかし、彼らは意図すれば身体の動きを止められる。

だが、私は、どんなに努力しても、意識しても身体を止めるのは、右へ移動した後に
左へ移動する間何とか静止時間を長く出来るだけで、やっぱり左へ移動する。
左へ移動したから、今度は右へ移動を始めるが、そこで何とか静止時間を稼ぐ。

しかし、やがて身体は右へ動き始める。


「そこ!! 頭をぐらぐらさせるな!!!!」  何百回言われただろう。


身体のぐらつきは、医療機械の重心動揺計で見ると明確に現れる。
皮肉な事に、あるメーカーで私はこの重心動揺計を設計したのだ。
自分でサンプルデータを取り、驚く程揺れる事に自分で驚いた。
「なーんだ。俺のカラダ動いてるんだ。」


ことば、文章の字面だけを見て「自分はADHDでアスペだ」と決めつけないで欲しい。

現物は、レベルが違うんだよ。
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記憶の形 2 [自閉症の定義]

私たち自閉症の話をする時には、必ず記憶に関する事柄が付いて回る。
それを考えると、記憶に関するカテゴリーが必要な気もするが、
「概念化」が出来ないから自閉症であるので、初めからキチンとカテゴリー分けし、
それに沿った内容でまとめると言う事とは最も遠い人種(障害)である事も事実。

だから、カテゴリー分けはそれなりに記述が溜まってからやると考えた方が良さそうだ。



さて、実は、つい先日、ウチの奥さんにこのブログが見つかってしまった。
実は隠していたんだ。
隠れながら書いてたから、誤字脱字も多く、隠れて無くても誤字脱字が多いのに尚更だ。

で、何故奥さんに隠して


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想像力の障害 「他人の気持ちを考えよう」 [自閉症の定義]

カナー型の自閉症だけを見ていた時代には分からなかった想像力の障害。

自閉症の子供を持つ医師ローナ・ウイングによって体系付けられ、医学界でも認められた
「自閉症スペクトル」そしてその根本の3原則のうちの一つ「想像力の障害」
さらに言えば「想像力の欠如」

当初、私がこの書物を読み知ったとき、この「想像力の欠如」だけは承服出来なかった。
何故なら、私がエンジニアでロボットの設計を行い、宇宙開発事業団に納めた回転いすや、
前後に動くリニアアクセラレーターは想像力の産物では無いのか。

ところが


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