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福岡 写真を切り取る女の子へのいじめ [事件]

私も妻も学校でも職場でも結構なイジメを受けた(ようだ)。

受けたようだと言うのは、そこはマインドブラインドネス(自分の内面が分かっていない)。
自分が虐められているのか良く分からない事も多く、今の年齢60才になり、
昔の起きた事柄、エピソードを克明に思い出すと、「これはイジメだな」と
今になってようやく分かるのである。


つまり、自分自身に起きたエピソード、記憶の解釈が年齢や経験によって解釈が変わったと
言う事だ。http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-31


私にしても妻にしても、どんなにイジメても、イジメがいの無いタフなイジメ相手だ。
なぜタフか。
学校のイジメぐらい大した事無い。
ウチに帰った方が、よっぽど毎日が大変だったからだ。


分類から言うと、私の母は人格障害、妻の父は境界性人格障害、となる。(素人判断だけどね)

まあ、そのエピソードの凄さから言ってほぼ間違いないと思う。


その代わり、外でのイジメにはタフでも、人間として壊れてしまったから、
抗うつ剤が手放せず、しかし、自閉症の特異な特徴としての抗うつ剤が良く効くと言う事もあり、
最近の抗うつ剤の進歩もあり、少量毎日欠かさず飲んで、
さらに、親戚縁者、仕事関係とも一切縁を切り、痕跡を残さず引っ越す事が出来たので、
今では天国の様な所で毎日平和に過ごせている。


さて、色々なイジメを体験した私たちから見た女の子の対処方はどうしたらよいか。
もし、妻がこの女の子だったら、「自分のモノ」を傷つけられたのだから、激怒したはずだ。

学校生活でも、普段は大人しい静かな子、何でも言う事を聞いてくれる子、言いなりに出来る子、
である筈の妻。しかし、一旦自分のモノとなった写真を傷つけるなど絶対許せない。
激怒し、相手は「怒る程の事はない」と言いながら余りのギャップに驚き、その後関わらなくなる。
こうしてイジメの芽は去って行く。

もし私なら(多少身に覚えがあるが)、これは単純に器物損壊だ。
やった相手に「弁償しろ、弁償しろ、弁償しろよ」としつこくしつこくつきまとう。
大体、弁償なんて事は子供の頭に無いから逃げ回るだけだ。
今度は、職員室へ行って教師に「弁償させろ、弁償させろ」と詰め寄る。

大体、教師は間を取って、相手の親に連絡し、代わりの写真を寄越してくる。


子供達のイジメは、必ず荷物を隠したり、使えなくさせる事が多い。
そんな時、私の頭の中には「弁償」しか思いつかない。自閉症なんだね。

その行為に隠された意図、思い、等には一切考えも行かないし、思いつきもしない。
ただ弁償だ。
妻が激怒するのも、基本は「自分のモノを壊された」だ。
相手の壊したい気持ち、相手のイジワルしたい気持ちは関係ない。

同じ様なケースで傷つく子供の事件は多く、子供が追い込まれていくが、
私は毎回、「なぜ弁償させないんだろう」と言う所に行き着いてしまう。

自分自身の虐めたいと言う気持ちを持った普通人と、相手が自分の事を虐めたがっていると分かる
普通人同士が、気持ちを確かめ合うだけで解決出来ず行き詰まるのだが、
そこで相手に徹底的に「弁償」させる事で、虐められた側の気持ちも決着するし、
相手側も親を含めて「弁償」が最もこたえる筈なんだが。


私が教師にアドバイスを求められたら、こう答える。

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積極奇異 受動型 その実際 [自閉症の定義]

自閉症は積極奇異型と受動型に分類出来る。



レナードの朝の演技指導にオリバーサックスが立ち会った時、
患者を模す演技をさせた所、ものの見事に小刻みに動く演技を選ぶ人と、
固着し一切動かない演技を選ぶ人に分かれたそうだ。

これは、脳の構造が二通りに区分け出来る事を示準しているとの解説があったが、
私も全く同感だ。


実物と現実に深い付き合いをしていないのに、知ったかぶり、或いはなったつもりの
ナンチャッテアスペなどの話は、その記述をよく読むと、それは自分の事なのか、
誰か他の人が自閉症でその様子を観察したのか、その人は積極奇異なのか受動型なのか
全てがごっちゃになって、あり得ない症例、あり得ない行動を取った事になっている。

殆どの人は、自閉症が身近にいて日常を共に過ごしている訳では無いから、
これらの支離滅裂な行動様式でも何の疑問も感じず、その受け売りを人にまことしやかに
伝聞する。こうした伝聞情報が殆どを占めていて、実のある話をネットで発見した事は殆ど無い。
この話ぐらい。https://ameblo.jp/repenter/


積極奇異と言うが、これは人に対するアプローチが非常に積極的であるが、奇妙な事でも
平気で行ってしまうと言う事を表している。
実は、私(アスペルガー症候群診断済み)がそうなのだが、ウイングの書籍http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/76168/に、ハンスアスペルガーの元に集められた奇妙な子供の記述がある。

その中の「カエル博士」は、まさしく私の子供時代そのモノで、まるで私の様子を見ていたかの
様な話だ。
改めてこうやって読むと、初めて自分自身の様子が手に取るように思い出される。

「ねえねえ、知ってる?」これで始まる話は、ただただ自分がその事について話したいから
相手を探しているだけで、コミュニケーションとは少し意味合いが違う。
「ねえねえ、知ってる?」この話す相手は、お愛想でこの話に付き合ってくれる人間でなければ
ならないから、当然大人になる。子供相手に話した所で、先ず興味を示さずどこかへ行ってしまう。
大人ならば、「何故か、不思議な事に」私の話が終わるまで、「あっそー、凄いね-、そうなの」
とずっと相手をしてくれる事を知っている(学習した)からだ。

初めの頃は誰でも聞いてくれたが、段々話す量も情報も多くなってくると、相手が女(おばさん達)だと、適当にいなされる事も学習する。
そうなると、私の話に興味がありそうな大人の男相手に話しかける事になる。
ところが、子供を相手にする大人の男などそんなに居ない。
それでも話したい事があるから、イケそうな大人が来ると誰彼構わず話しかける事になる。

これが、私が「積極奇異型」の自閉症児となる過程である。



一方、受動型と言う自閉症児も居る。
実は私の妻(アスペルガー症候群診断済み)が受動型なのである。

受動型と言うのもあくまで対人的コミュニケーションの事を示している。
幼稚園へ行く前から一人で「遊ぶ」事が好きで、仕方なく幼稚園へ行かされる。
別に一人で遊ぶのが好きな訳では無く、人の相手をするのがめんどくさいだけなのだ。

学校へ上がると一人でじっと何かを見ている無口な子供でも、そんな子供に興味を持って
話しかけて来る女の子が居る。恐らくその女の子も騒々しいのが嫌いなんだろう。
そんな女の子の働きかけによって、少しずつ話をする様になり、1年もするとようやく打ち解ける。

ところが、その様子を見た教師は、固定した友達関係しか築けない子供に対して、
広く沢山の友達を作れる様にと教育的配慮から、やっと築けた人間関係をクラス替えで引き離す。

ほそーいほそーい僅かなコミュニケーションの糸を、本人の意思に反してぶちこわすのである。
酷い絶望感の中、また一人で居ると、そんな中にもまた友達らしき相手が出来るが、
またクラス替えと称して、コミュニケーションの小さな芽を残酷にも摘み取るのだ。


友達と言うモノ。コミュニケーションと言うモノ。
その小さな芽を、教師達は嬉々として摘み取るのだから、もう一切期待しない様になる。

こうして普通学級に存在する受動型の自閉症児(アスペルガー症候群の子供)は出来上がるのである。



ところが、積極奇異群、受動型と言う「単語、言葉」だけで理解した様な気がする連中が殆どで
現実には行動様式はこの単語とは全く一致しない。

簡単に言えば、積極奇異群の私は、殆どテレビの前で長椅子に寝そべっているのが日課。
新聞を読むかテレビを見るかパソコンをやるか寝ているか何れかだ。
余程体調が良く、気分が盛り上がって何か家の仕事をする位で先ず動かない。

ところが、受動型の妻は、受動型と言っても人に対しての話。
現実には、朝7時に起きてから、夜9時に寝るまでひっきりなしに動き回っている。

脳内からのトリガーに対して、非常に敏感忠実なのが受動型の妻。
脳内からのトリガーに対して鈍感、あったとしても受け付けないのが積極奇異群の私。


そこでレナードの朝。
普通人の俳優でも無意識に「固まる脳」の演技と「動き続ける脳」の演技に分かれる。

積極奇異群の私は「固まる脳」を持ち、実際父は、若年性アルツハイマーを47才で発症した。
受動型の妻は「動き続ける脳」を持ち、実際叔母がパーキンソン病になり亡くなった。


こうやって、実際のサンプルを基に、実例を伴った症例を考えると、
単語を知っただけで分かった様な事を言う事が如何にバカな事か良く分かる。

逆に言えば、話の中に矛盾を見出す事が出来る様になると言う事は、
それだけ自閉症の事を理解出来て来たと言う事にもなる。


そしてよく考えて欲しい。
貴方はこの様に、分かり易く自閉症のアスペルガー症候群の発達障害の話を聞いた事がありますか?

ネット上には、溢れかえる程自称専門家や、自称専門医、自称療育家が居るが、
分かり易く説明出来ないと言う事は、実は分かっていない。

芯の部分、真の部分で分かっていないと言う事なのだ。
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鏡の向こう [自閉症の定義]

これも誰もが目にしている事。

子猫や子犬が不思議そうに鏡を見る。
鼻をくっつけると冷たいのでビックリする。

誰だろう。不思議がって鏡の裏側に回り込むが誰も居ない。
正面に回るとまた誰かがこちらをじっと見ている。


この行動を何度か行うが、すぐに動物では無いと覚えもう興味を持たない。


赤ん坊も同じ行動を取る。
これは、脳の発達の過程で、鏡に映る赤ん坊を見て興味を持つが、鏡の裏側には誰も居ない事を
覚える。

この時点では、赤ん坊も子犬も思考の過程、思考回路は同等、同じだ。

とても可愛らしい赤ん坊の時期で、18ヶ月前の赤ん坊に見られる姿だ。



ところが、この後20ヶ月から22ヶ月を迎えると、赤ん坊は長足の進歩を遂げる。

鏡を見て、その姿が自分である事を「知る」覚えるのである。
もう鏡の裏側に回る事は無い。

チョコクリームを付けた自分の顔を見て笑い転げる様になる。
鏡に映っているモノが自分である事の証明だ。




これが、人間が動物から人間に変わる瞬間。
SAMを獲得する瞬間である。

このSAMを獲得する事で、動物の領域に居た赤ん坊が、人間としてヒトとなり自己(自分)を
獲得したのである。

SAMは後述


ところが、人間の中にこのSAMを獲得出来ないまま成長する人間が存在している事が分かった。
その人間の事を「自閉症」「自閉症スペクトラム」「アスペルガー症候群」と言う。

このSAMを獲得出来たか出来なかったかが「自閉症」とするか「ナンチャッテアスペ」とするかの
分かれ目なのである。



SAMを持たない。

しかし、知能まで持たない訳では無い。


例えば、鏡に映るのは物理的現象で、自分が映っているのである。
これは知能で理解し覚える事が出来る。つまり学習だ。

SAMを持たない人は、非常に高い知能を持つ人から知能が低い知恵遅れの子供まで、
スペクトラム状に存在している。
この仮定に理論立てられたモノが「自閉症のスペクトラム理論」である。

自閉症の度合いが濃い人と薄い人が居て、薄い人は限りなく薄く「ヒト」に連なる。
と言うのは明らかな間違い。

しかし、ネット情報のかいつまみ、コピペ、孫引きに頼ってコメントしている人が殆どだから、
上記の間違い、嘘が氾濫し、その事が「ナンチャッテアスペ」を増殖させ本人に信じ込ませて
居るのである。



勿論、知能と学習で「ヒト」の行動を真似ているから、限りなく「ヒト」らしく振る舞っている
自閉症は居る。
しかし、どんなに取り繕っても、SAMを持っていないから、「マインドブラインドネス」の
理論に基づいて作られた簡単なテストに、やすやすと引っかかってしまうのである。


一方、どんなに「アスペ」を取り繕っても、SAMがあり概念化が自動で出来てしまうから、
テストを受けさせればニセモノとバレてしまうのである。
どうしてもと言うなら、事前にその答えを暗記しておくしか無い。
そこまでやった「ニセアスペ」は流石に見た事は無い。

大体、皆自分自身がニセモノである事を「無意識下」でも「意識的」にでも認めているから、
診療自体を拒否し、テストも拒否し、診断を拒否するのである。

ただ、ネット上で診断を受けたと書く事は自由に出来るし、自分がそうだったと信じる事も出来る。
その場合、精神科へ通院し、医師のアドバイスを受けている過程で、
「アスペルガーの可能性もある」と言う話が「アスペルガーと診断を受けた」になる事が多いのだ。



学校で、会社で、社会でどうにも解決出来ないモヤモヤがあるなら、
精神科へ通い続け、必要なら専門医の診断テストを受け診断を受ける事は大切な事である。
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女の子の楽しいおしゃべり [自閉症の定義]

女の子は年齢を問わず、お婆さんになっても良くしゃべる。

それは男と比べると、と言う比較があって初めて成り立つ話で、
世の中女の子だけだったらそう言う事は無い。


こういう簡単な事は、皆実感があるし、現実にそうだから簡単に認める事が出来る。
これを「性差」と言う。


ヒトがサルと異なるのは、「しゃべる」と言う事だ。
サルと異なると言うより、他のどの様な生物とも異なるのは、「しゃべる」と言う能力を得た事にある。


その「しゃべる」と言う事も、男と女では表出の仕方、その能力に違いが明確にある。

その内容は別として、「しゃべる」という能力全体で見ると、女の方が量的に圧倒的に多い。

つまり、「しゃべる」と言う事については、女の方が優位なのである。



障害児を集め、自閉症だけを抽出すると、圧倒的に男が多い。女性は全体の2割以下だ。
(数字の裏付けはど忘れしたので後日表記)

これは「しゃべる脳、女性脳」と、自閉症の発生率との関係と思われる。


DNAの解析が進めば、この辺も統計として科学として明確になる筈だ。

これは、目の前に居る自閉症の子供、男の子女の子を見た現実と一致する。
女の子で自閉症の子は少なく、そう言う意味から考えると、
女の子の自閉症児の方がより「自閉症の度合い、自閉症の要素」が強いとも考えられる。

本来おしゃべりな脳を持っているのに、自閉症の男の子と同様の様相を呈しているのだから。


現実の、障害者施設の子供達の割合がそうなのに、ネット上の「ナンチャッテアスペ」や
「ナンチャッテ発達障害」「うちの子供は発達障害」「私は大人の発達障害」と
言う人たちは、ほとんどが女だ。

マスコミに登場してくるのも、ニキリンコも女、泉流星も女、村上由美も女。
ブログも女。


彼女たちは一体なん何だろう。
彼女たちに診断を受けたか聞いても、答えず、問い詰めて初めて、診断を受けていない事を
白状する。

問い詰められなければ、当事者としてマスコミに出たり、都の障害児教育のセミナーで
当事者としてなりきって発言しても平気だ。

ネット上とマスコミには不思議な人たちで溢れているのだ。


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歴史的な誤解を生み出す書籍 [自閉症の定義]

私が参考にしている書物の中には非常に古い記述が原典の書籍もある。

事実を忠実に、それも長い年月を掛け冷静に観察記述したモノは古くならない。
その代表がアヴェロンの野生児https://www.fukumura.co.jp/book/b115168.htmlだ。
自閉症の事を知れば知る程、この記述が如何に貴重か改めて感じる味のある書籍だ。

その事についてはここhttp://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-21でも少し触れている。


しかし、その貴重な書物と同列に扱われ、現在も出版?存在する異業の書物もある。

それは、この書籍と同シリーズに収められた「狼に育てられた子」https://www.fukumura.co.jp/book/b115162.html
カマラとアマラの話だ。

これは、ずいぶん前に作り話であった事が分かり、あたかもあるかの様に作り上げられ、
その後も、作者が執拗に証拠作りをして正当性を訴えた事で知られている。
イギリスでは大騒動になり、大スキャンダルとなったのだが、
日本での初版は、確かその嘘がばれた後だったと思う。


昔、小学校の教科書にも題材として載せられた事もあり、日本中の人が狼少女の事を知っているが、
この話が、全く作り話で、デタラメであった事までどの位の人が知っているか分からない。


さらに、この書籍を出版した福村書店が、何の但し書きも無しに現在もこの本をホームページに
載せているのだから、出版社自身もこの本がガセネタであったと言う事を知らないのかも知れない。

それとも、知っていて、自らの行為を恥じて他山の石とする為に敢えて出版し続けているのか。

だったら、虚偽の記述、虚偽の書籍である事を明記した方が、誤解を生まないと思う。

まあ、学問の世界にも、虚偽性人格障害が居るって事だな。

体裁を整えさえすれば、どんな嘘でも作れると言う事だ。
商売目当てでやっているヤツも居るから、尚更タチが悪い。
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記憶の形 [自閉症の定義]

「つらく悲しい」 つらく悲しく概念化出来てしまう普通人は、楽しい事も「楽しい事」と
概念化して記憶出来るから、記憶の手間、記憶の行程、記憶のコストが掛からず安く、
簡易に済ます事が出来る。

毎日生きていくだけで色々な出来事が起きる。
それをすべて覚えていたら、膨大な量になるので、普通人はそれを「概念化」と言うプロセスを
経て、簡単な形に圧縮変換し、「楽しい事」「つまらない事」「どうでも良い事」「悲しい事」に
自動で振り分け、さらに「楽しい事」は残すようにして「嫌な事」「忘れたい事」はなるべく
ゴミ箱に自動で捨てるようにプログラムされている。

だから、「人の記憶はあいまいで、不確かなモノだ」と言う話になる。

一方、私たち「普通人」とは異なる「自閉症」の場合、元々概念化の能力が無いから、
取りあえずそのまま記憶するしか無い。
特別に記憶力が良いわけじゃ無い。

何かのきっかけで記憶してしまった事を記憶しているだけだ。
そのきっかけをつかめないと、全く記憶しない。

この構造は恐らく脳内の神経構造、つまりハードウエアが普通人とは違うのだと思う。
ハードウエアが同じで、載っているソフトが違うだけなら、後から「概念化ソフト」を入れれば
同じ「普通人」になり得るが、「概念化ソフト」はアプリケーションでは無く、
初めから組み込まれた「ロジックに書き込み済み」ソフトだから、後から入れる事は不可能。

そう考えると、自閉症の脳構造が、ハードウエアが違うと考えるのが自然だ。

「私は楽しい事しか覚えてないよ」こういう人に、「じゃあどんな事?」と聞いても
誰1人具体的な楽しかった思い出を語る人に出会った事が無い。

逆に、3才の時に踏み台から落ちて唇が切れて血が出た。とか、小学校の時の千草和え不味かった。
とか、学校へ行って気持ちが悪くなると毎回朝ご飯食べなかったんじゃないのとしか言わない
保健の教師の話とか、幼い時から今までの具体的な話しかしない人に、1人出会った事がある。

それが、私の妻で、私が言う事も、昔の、良く言えば思い出話、恨みつらみの具体的な話ばかり。
相互のエピソードを付き合わせ、如何に体育教師に嫌われたか。如何に給食が不味かったか。
すべて、具体的なエピソードで話を共有した。

普通人が「楽しかった事」の一言で済んでしまうが、私たちは
「楽しかった事なんか無いよ。強いて言えば、大学の時楽器を吹いて・・・・・・」と
ひょっとしたら楽しかった事に分類されるかもしれない出来事を呼び出す。
しかし、その事には、嫌な事や、面倒くさかった事や、寒かった事や暑かった事や、腹が減った事
や、色々な事も付随するから、簡単に楽しかった事なんて言えない。

つまり、かいつまんだ「概念化」が出来ないそのモノだ。


人の記憶はあいまいです。
しかし、ヒトにあらず自閉症である場合、記憶はそのまま記憶する。


但し、この但し書きが重要。


但し、その記憶(私の場合、記憶とその映像)は変わる事は無いが、大人として解釈が変わる事はある。

この解釈が変わると言う所が重要で、私自身、私の子供時代を、
私の母親よりも年かさが増した今記憶をそのまま再現すると、

どれ程私の母親が世間知らずで、しかし家の中で威張り、力の無い子供をいたぶっていたか良く分かる。


だから、酒鬼薔薇聖徒が出所して自伝を書いたと聞いても、彼の年齢、社会経験から見ても、
自分の状況をきちんと把握し、上手に解説出来るとはとうてい思えない。

自分自身が行った事の解釈、或いは解説が出来るようになる時は、恐らくもう世間からその事を
望まれない様な遙か先の話だと私は考えている。

何故か。だってマインドブラインドネス、自分自身の内面を知る事が出来ない障害なんだから。
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忘れられた機能 概念化 [自閉症の定義]

ネット上では全く話題にも上らない「概念化」。

人間が「ヒト」「普通人」として成り立つ重要な能力が概念化と言う能力だ。

誰もが生まれつき持っているので、その能力について考える事も存在している事すら忘れる
概念化という能力。
ダウン症に生まれてもきちんとこの概念化の能力を持っているから、ヒトとして愛される。

一方、概念化の能力を持たないと言う事は、600人に一人の割合でしか無いから、
概念化が出来ない人間の存在自体が忘れ去られ、人間であるなら常に概念化が出来ると思われてしまう。


では、概念化と言う能力はどの様な場面で使われているのだろうか。


「つらく悲しい」   これがお笑いぐさと言う事は別項で述べた。http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-24

何故これがお笑いぐさなのか。
私(アスペルガー症候群診断済み)と妻(アスペルガー症候群診断済み)は、この様な表現を見ると即座に反応してしまう。
「ばかばかしい。 何なんだよ」「ハッキリ言えよハッキリ」

「つらい」とはつらい事の概念だ。「悲しい」も悲しい事の概念だ。
普通人であれば、つらいと言われただけで、つらいの塊、つまり「つらい」と言う概念で理解する。
同様に「悲しい」も悲しいと言う概念で理解出来る。

私たち自閉症は概念化する能力が欠如しているから、「つらい」と言われても全く分からない。

「一体何かあったんだ」「何がどうしてどうなったんだ」
「そして何がどうなったからそんなにつらかったんだ?」「ハッキリしろよハッキリ」
となるのだ。


だから、ネット上、ブログ村の自称アスペ自閉症発達障害の自己申告を読むと、結局
「私は生きにくくつらい毎日を送っています。だけどこれは個性なんです」
と言う話ばかりで何一つ具体的では無く、つらさを感じさせるエピソードすら無い。

そりゃそうだ。だってあなたたちは自閉症じゃないもん。
自閉症ごっこ。 
自閉症とは全く逆のごっこ遊びだから、間違って私たちの様な本物が読んでしまうと
のけ反るぐらい嫌悪感でいたたまれなくなってしまうのだ。


インターネットと言うのは、昔々は少数のコアなマニアの情報交換の場となりそうだったが、
パソコン能力の向上と通信ラインの情報量の増加で、実社会そのものとなり、
嘗ては、自閉症のコミュニティが出来そうな気配もあったが、
今では、自閉症のメンタリティーを持っていたら、
自閉症関連のサイトには気色悪くて近づけなくなった。

本当の医学上発達障害に分類される人、例えば読字障害の人は、ネット上に存在する
発達障害へのサポート情報に触れる事も出来ず、
本物の自閉症の人は、嫌悪感が先に立ち勝手に「自分は自閉症では無い」と自己判断してしまう。


結局、ネット上は「自閉症ごっこ、発達障害ごっこ」のごっこ遊びの場となり、
自閉症と現場で接触する人が、情報を得ようとのぞき見しても、
ごっこ遊びの園長の偽情報ばかりで、自閉症の子供に本当に役立つ情報は届かない。

恐ろしい事に、自閉症児を持つ親が作るネットワーク自体が、情報の真偽を確かめずに
垂れ流し続けて居るのだ。

ネット情報に翻弄されるなら、ネットなんか覗かない方が自閉症の子供の為だ。
ラコーヌの森のビクトールを見て欲しい。

愛情だけで、愛情だけだったからこそ立派な青年になったのだ。http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-21
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お笑い つらく悲しい [自閉症の定義]

つらく悲しい、か、つらく哀しいかは分からないが、
ネットの自称発達障害自閉症の連中はみんな「つらく悲しい」だ。

ニキリンコが登場した時、「つらく悲しい」トレードマークだった事もあって、
同時に大量発生したネット上の「当事者」連中も、話す事はつらく悲しい。
でも自閉症は個性だ。が合い言葉だ。

まともにこの障害について勉強した人なら、すぐ「つらく悲しい」と自閉症発達障害との矛盾に
気付く筈だが、ニキリンコを広告塔に一山当てようと言う自称専門家はそんな事には気付かない。


発達障害(アスペルガー症候群)自閉症の根本はマインドブラインドネス。
つまり、自己の内面に気付く事が出来ない、内面を知る事が出来ない障害の事。
http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-09-18-1

自閉症が、私はつらく悲しい。と表現した時点で、マインドブラインドネスでは無いと言う事が
分かる。
つまり、自閉症では無く、何かの目的で当事者を装ってブログを開設していると言う事だ。

では何故つらく悲しいと表現すると自閉症では無いのか。
それは、以前の記事を読んで貰えば、分かるだろうし、ここで詳細まで語らずとも分かる人に
このブログを読んで貰いたい。

何とも、「つらく悲しい」世の中だ。  しかし、私は診断を受けた当事者自閉症です。
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子供の自殺 池田中学中2自殺 福井 [事件]

子供の自殺。
2017年3月の事件がようやく今報道されていると言う事は、当初の学校側の発表はどうだったのか。

これもネットニュースの断片なので裏が取れないが、当初学校側にイジメは無いと言う話だったと記憶している。

教育関係者の認識は本当にズレていて、イジメとは棒で叩くとか、土に埋めるとか実行行為しか
イジメでは無く、心理的なイジメ、圧力、言葉による暴力をイジメとして認識出来ない様だ。
だから、日ごろ殴られたり、突き飛ばされていたのが、ついに崖から突き飛ばされて落下して
死んだとなって、初めて原因はイジメになるのか。
いや、それすら落とすつもりでは無いからイジメでは無いと言いそうだ。
確か山形かどこで体育館のマットに逆さに落とし込まれたまま放置され死んだ男の子がいたが、
これも悪ふざけで片付けられたんじゃ無かったっけ。


我が家は田園の中の奥まった所にあり、不便な所だ。
そんな所の家を借りる人が居て、2017年5月に引っ越してきた。
子供5人の子沢山。しかし、引っ越しの挨拶も無く、何か訳ありの様子。
小学校の子供達は元気に学校へ。時にはお母さんが車で送っていく。
中学2年の女の子が居るのだが、全く学校に通うそぶりが無い。

8月16日その中2の女の子が自殺してしまった。

家族は仲よさそうで、毎日熱心にお題目を唱えていた。

子供が自殺する。人が自殺するのは、鬱でなければ自殺まで行かない。
単純な鬱なら悪化すればする程自殺する元気さえ出ないが、躁鬱の双極性だったり、
逆に鬱が良くなって活動的な時が一番危ないと言う。

そう言えば、その数日前には風呂場から楽しそうに風呂場でじゃれ合う親子の声が聞こえていた。


鬱には原因があって鬱になる。
池田町の子供は、教師と言う子供の力では取り去れない原因があったが、
原因が明確であっただけに、その原因を学校側が取り去れず、取り去ろうともせず、
そんな事を考えもしていなかった事が本当に残念だ。

我が家の近所の女の子は、家族がお題目に救いを求めた。
しかし、残念ながらお題目は鬱には効かない。
病院へ行って抗うつ剤を処方して貰う事が出来れば。
鬱か双極性か精神科のきちんとした診断を受けて適切な脳機能薬を飲んでいれば防げただろう。

ただ、現世利益だけで繋がっているグループであれば、相談しても、
グループ内のコネで何の実績も知識も無いカウンセラーに回されたなら、回復の見込みは無い。
何とも可愛そうな話だと私は考える。


自閉症、発達障害(ここでは医学的に言う発達障害)アスペルガー症候群(知能の高い自閉症)を
取り巻く環境も、NHKを十二分に活用利用したニセ発達障害を推進するグループに牛耳られている。http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-14

我が子が自閉症と知った親は先ず「早期療育が効果的」と言われる。
そして「早期療育を手がけている人たちはこんな人たち」とネットのリンク先を教えられる。
そこへ行くと「こんな風にトレーニングしてコミュニケーション能力を向上させます」と言われる。
さんざんお金を使っても効果が出なくて悩むと
「この子はこんなに効果がありました。頑張りましょう」と説得される。
しかし、子供の様子が変なのでそこは止める。https://ameblo.jp/repenter/


実際すぐ効果が出る子供は、自閉症では無く「自閉症では・・」と言う子であって、
すぐに効果が出たり、自閉症が治ったりする時点で、その子供が自閉症では無いと言う事なのだ。

そもそも早期療育と称するモノが本当に効果があるのか。
その判定は、その子供にそのプログラムを施しその子供が30才位になって初めてその効果の有無を
判定出来るのだ。
早期療育を言う人は、2000年に商売を始めた時、すでに早期療育で効果抜群を謳っていた。

私はその効果に対して非常に懐疑的だ。
それは、現実にカナー型の自閉症なのに心が壊れ自殺未遂にまで至った子供が現実に居る。
https://ameblo.jp/repenter/

さらに、古くはオオカミに育てられたと言われた「アヴェロンの野生児」を見ればよく分かる。
この子の場合、障害児を誰か家族がラ・コーヌの森に捨て、その森で素っ裸で生き続けていた所
11,2才で捕まえられたのだ。

1800年パリに連れてこられ、医師のイタールが世話をしながら教育も施した。

その様子は自閉症の子供の生育歴を克明に書き表した貴重な書物として現在も生き残っている。

この本を読んで貰えばよく分かるが、私はこれを読むと、無用な「療育」を施して子供を壊すより
ゆっくり育てて、人間にとって幸せとはどう言う事か、考えながら一緒に生活を楽しんだ方が
よっぽど良い事だと考えている。
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最近陰をひそめた感想文 [自閉症の定義]

2000年に起きたなんちゃって自閉症なんちゃってアスペ運動http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-09-24
http://mindblindness.blog.so-net.ne.jp/2017-10-14
のおかげですっかり地道な現場の声が吹っ飛んでしまった。

その頃、巷で噂されていた話に「感想文が書けない子供が居る」と言う話。

この感想文が書けないと言う事は、私(アスペルガー症候群診断済み)や妻(アスペルガー症候群診断済み)が、若かりし頃喫茶店でデートしながらよく話した事だ。
では、本を読むのが嫌いかと言うとそんな事は無く、生まれてこのかた、私と同じぐらい本を読み
又、その読んでいる本が共通する人は会った事が無く、そんな事も共通していた。

では、本を読む事が大好きで大量に読んでいるにも関わらず感想文が書けないとはどう言う事か。

これも「マインドブラインドネス」自己の内面を知る術を持たない人間である事に由来する。

現場の見識ある教師達は、勉強が出来るのに感想文を書けない「奇妙な子」の存在に気付いていたのだ。
この奇妙な子供達に初めに気付いたのは、ハンスアスペルガー。
ドイツでどうしようも無い手が付けられない子供がアスペルガーの元へ送られた。
そこで見た子供達が奇妙なので、その行動様式を書き留め観察していた。

後日、ウタフリスなど若手の研究者が、自閉症じゃ無いかと想定し定義付けた。

老齢のアスペルガーは、自閉症はカナー型との考えから、「違う」と言っていたが、
フリスの定義が裏付けられ、その根本となる理論が「マインドブラインドネス」
(自身の内面を見る事の出来ない人)なのである。

「普通人」は本を読み、テレビを見て、何か話を聞いて瞬時に「自身の内面に起きた何か」を
無意識に知る事が出来る。
その何かを既に知っているので、後は年相応の言葉に置き換える事が出来る。
幼ければ幼いなりの言葉で表現し、小学生中学生と成長すればその知識に応じた表現になる。

ところが、私たちアスペルガー症候群の場合、知識のストックは膨大にあり、
時には教師をも黙らせる言葉を持ち合わせながら、感想文となると書く事すら出来ない。

「ケネディは第二次世界大戦へ行きました。若くして大統領になりました。
 凄いと思います。 終わり。」

学年でトップクラスの成績なのに、感想文がこれでは「テメーおれをおちょくってるのか」となる。

教師に徹底的、他では考えられない程目の敵にされイジメられるのも特徴で、
私も妻もそうやって学生生活を送ってきた。

私は「お前は転校生だから内申書0点だからな」と何度か言われたが、言われている意味が
さっぱり分からず、結局高校浪人する羽目になってしまった。

ビックリする両親と一緒に教師に会ったが、慌てる両親を見た教師が慌てていた。

実は、それから45年経った今でも意味が理解出来ない。

とにかく、感想文が書けない、と言うのは、非常に分かり易い一つの目安でもあるのだ。
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